月見櫓@Jugem
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「一歩も譲らない」という態度を示そう
2010.02.28 Sunday
11:00
昨日、チリでかなり大きな地震が起きたようですが、この地震は先月起きたハイチの地震よりも、更に規模の大きいもののようです。
地震発生後の詳報が少ないことも、阪神淡路大震災の発生時を彷彿とさせ、相当甚大な被害が発生しているのではないかと危惧されます。今は、少しでも被害が小さいことを祈るばかりです。
日本でも同じ27日早朝、沖縄で震度5弱の地震があり、うるま市にある世界遺産・勝連城址の石垣が崩落したとのことですが、仮にそれがなくとも地震国日本としては全く他人事ではありません。地震そのものの発生を防ぐことは出来ませんが、心構えと備えがあれば、万一の時もかなり違うのではないかと思います。とりあえず、災害発生から3日間はしのげるだけの備えをしておいた方が良いそうです。
さて話は変わって、以前から個人的に注目と言うか、強く警戒していた在日外国人特別永住者限定参政権付与法案が、政府提出法案(閣法)として提出されるのではないかという件について、どうやら連立与党内での意見調整が付かず、
現政権は今国会での提出を先送りにする
ことを決めた模様です。
この件に関しては、以前
「内堀を埋めさせるな」
という記事で申し上げましたが、今回は幸い、内堀まで埋められることは免れました。
しかしこれはあくまで「先送り」であって「断念」ではありません。おそらくはこれまでもそうであったように、今後も在日外国人特別永住者限定参政権を実現しようとする勢力は、何度でもこの法案を提出しようとするでしょうから、今後も気を抜かずに警戒を続けなければなりません。
韓国は日本における在日の参政権に関して強い関心と期待を示しており、
「日本と韓国は全然違います」
という記事でご覧に入れたように、中にはそれをもって日本の政治を在日に掌握させ、最終的には韓国が日本を統治出来るようになればと考える韓国人も実在します。
前回記事で申し上げた「彼らには一歩も譲ってはいけない」というのは、この在日外国人特別永住者限定参政権問題についても全く同様です。地方参政権ぐらい良いじゃないかと言うのは、「一歩ぐらいなら譲っても良いじゃないか」と言うのと全く同じなのです。地方参政権が得られれば、彼らは絶対に被選挙権も求めてきます。その次は国政の選挙権も当然のように求めてくるでしょう。
もし特別永住者限定で地方参政権を認めても、彼らは「ウリに地方参政権を認めてくれてありがとう、これでウリは満足です」などとは絶対に言いません。彼らは絶対に「地方参政権は認めたのに、被選挙権や国政選挙権を認めないのは、ウリに対するサベツである」と言います。これは断言します。
在日外国人特別永住者とはそのほとんどが朝鮮人であること、朝鮮人に一歩でも譲れば全てを譲らされかねないことを、私たち日本人はくれぐれも肝に銘じていかなければなりません。既に外堀は埋まっているのです。今回、内堀を埋められずに済んだと言っても、日本が危機的状況であることに変わりはありません。
日本人が「一歩も譲らない」という態度を鮮明にすれば、最初の内は韓国人も火病るでしょう。床にひっくり返って奇声を上げて泣き喚けば、日本(人)は折れてくれると彼らは期待しているのです。過去に何度も日本がそうやって泣き喚く韓国の期待に応えたことを、今もその期待に応えようとする日本人が少なくないことを、彼らは知っているのです。
しかし日本人側がダメなものはダメだと言って、頑として譲らなければ、韓国人側も態度を改めざるを得ません。いくら泣いても喚いても、ダメなものはダメだということをこちらが貫けば、彼らは死ぬまで泣き喚くか、さもなければ渋々でも泣き止み、引き下がるしかないのです。
長年日韓チャットで彼らを観察して思うのは、日本人側が変われば、彼らも変わらざるを得ないということです。
私が日韓チャットを始めた頃は、来る韓国人来る韓国人、老若男女を問わず異口同音に「日本は過去をウリに謝罪しる」と言っておりました。しかし、現在ではそういうことを言う韓国人はほとんどいません。
それは日韓チャットに限ったことではありません。現実社会でも同じです。かつて在日どもがこぞって「ウリの先祖は強制連行で日本に連れて来られた」と異口同音にほざいていたのも今は昔の物語。いつの間にか「ウリの先祖は日帝支配で土地を取り上げられたために経済的に困窮して、仕方なく日本に来た」という話に変わっております。
このように、今までなら通じた手が通じなくなったと気づけば、彼らの態度も変わってきます。もちろん、本質的な部分で彼らが変わるということはありませんが、彼らが軒を借りようとするのを、私たちが頑として拒めば、少なくとも彼らに野放図に軒下に入り込まれることだけは阻止出来るのではないかと思います。
そのためにも私たちは彼らに対して、一貫して毅然とした態度を示す必要があるということを、重ねて申し上げたいと思います。
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日韓
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11:00
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「インドネシアの少数民族にハングル」の続報
2010.02.25 Thursday
09:00
以前
弊ブログでも取り上げました
が、
文字を持たないインドネシア少数民族がハングルを採用したというニュースの続報
が、先日ありました。案の定と言うか当然と言うか、現地では妙な軋轢を生じさせている模様です。
某SNSでこのニュースが掲載された時、ニュースについての意見を見ていると、やはり圧倒的に韓国に対して批判的な意見が多かったのですが、稀に「韓国というだけで見境なく中傷するな」という意見を散見することがありました。それらは概ね「文字を持たない民族に、たとえそれが朝鮮文字であろうとも、利便性の高い文字を提供することの何が悪い」という主旨のようです。
確かに、「純粋に文字を持たない民族に利便性の高い文字を提供する」というだけの話なら、闇雲な批判は単なる中傷と受け取られてもしかたないかもしれません。しかし、それはあくまで「
純粋に
文字を持たない民族の利便のために文字を提供する」場合の話です。
韓国人の主観において、「文字」と「言語」は峻別されておりません。即ち彼らの主観においては、「ハングルを使用する」=「韓国語を使用する」ということになります。実際、この件についての情報をウリナラチラシで渉猟すると、何故か「韓国語や韓国の文化を教える」という話が出てきます。もし純粋に「文字のない民族に文字を提供する」のが目的であれば、韓国語や韓国文化を教える必要はありません。
即ち、韓国人によるインドネシアの少数民族に対するハングルの提供とは、「インドネシアの少数民族の言語を守るために、純粋に文字だけを提供する」のではありません。では何のために、彼らはハングルと韓国語と韓国文化をセットで教えようとするのかと言えば、その背景には前述したように、韓国人の「軒を借りて母屋を乗っ取る」という習性がありありと透けて見えます。
中央日報のコラム
でも、「世界の言語学界は消滅危機にある少数民族の言語を保存し、教育するのに力を入れている。ハングルが担当すべき役割がここにある。独自の文字がない少数民族の言語をハングルで記録することで、人類の文化の多様性を維持するのに寄与できるという意味だ」などと言っております。
しかしそれが上っ面だけの話であることは、同じコラム内の「ハングルの優秀性が表記手段の側面にだけとどまってはいけない。チアチア族がハングルを受け入れるのには韓流の力が大きかったというように、ハングルで疎通できる質の高い文化コンテンツを開発していくことが重要だ。文字の科学性だけ強調する代わりに優秀なコンテンツで韓国と韓国文化に対する好感度を高めることがハングルの世界の礎石になるということだ」という文章にはっきりと現れております。
こういった韓国人の「軒を借りて母屋を乗っ取る」という行為を、前回記事で「戦略」と理解された方がコメントしていらっしゃいましたが、同じくコメント欄にて「あれは戦略ではなく本能だ」と解説されておられた方がいらっしゃったように、彼らのこの習性は理屈ではありません。
彼らの主観において、自身が主体となる他者との同一化は、他者に対する全身全霊全力の好意なのです。それが、たとえ相手の立場では、多大なる迷惑だとしてもです。
例えば、リアルであれバーチャルであれ、韓国人と接する機会があると、かなりの確率(ほぼ100%と言っても良いでしょう)で、「韓国文化のようなもの」を押し付けられます。その「韓国文化のようなもの」は韓国式の対人関係であったり、あるいは韓国ドラマや韓国歌謡曲などのサブカルチャーであったり、あるいは韓国語そのものであったりします。
日韓チャットで言うならば、こちらが聞いてもいないのに「韓国語を教えてあげます」とか「韓国について知りたいことがありますか」などと言う韓国人は、穿いて捨てたいほどいます。あるいは、ある程度親しくなった韓国人の知人がいる人なら、前触れもなくいきなりメールやメッセンジャーで、韓国歌謡曲や韓国ドラマのファイルを送り付けられたという経験を持つ人も、さほど珍しくないでしょう。
またその逆に、いきなり「日本を旅行する時にガイドしろ」とか「日本のホニャララを送れ」と言うこともあります。これは彼らの脳内の前提に「もし自分が頼まれたら、当然喜んでしてあげることだから」というのがあるようです。
更には、先日「
日本と韓国は全然違います
」という記事でご紹介したとおり、韓国が主体となるのであれば、日韓再併合を望む韓国人は実在するのです。
これが嫌がらせなどの明白な悪意がこもっているとわかるものであれば、その場で殴るなり蹴るなりすることも出来ます。しかし、それが彼らの全身全霊全力の好意であることがわかっている場合などは、それがかなり迷惑だとしても、私たち日本人は殴ったり蹴ったりはもちろんのこと、無碍に断ることさえなかなか出来ません。
しかし、彼らはそこに付け込んできます。いや、「付け込んでくる」などと言えば、またそれが戦略であるかのように聞こえるかもしれません。正確には、彼らはそれを「同一化出来た」と理解するのです。
そうなれば、彼らにとって他者は他者ではありません。自分の意のままに、自由に便利に使って良い手足です。更に言えば、自分にとって都合が悪くなれば、いつでも切り捨ててしまえる存在です。彼らはこれを、理屈ではなく本能で理解します。ですから、こちらがいくら理を唱えても、彼らには絶対に通じません。
彼らには、一歩たりとも譲ってはいけないのです。彼らは「相手が一歩しか譲らなかった」ということが理解出来ないのです。
もし一歩でも譲れば、彼らの意識には「譲らせた」という事実だけが残ります。その「事実」は、彼らの脳内で瞬時に「権利」と化します。その権利は彼らに都合の良いように拡大され、その履行を阻害されれば、彼らは自動的に「被害者」となります。
彼らにとって「被害者」になるということは、「加害者」に対して、謝罪と賠償をほしいままに求める権利を得た(優位の)立場になったと理解されることは、日韓の歴史を知る人であれば誰でも容易に想像が出来るでしょう。
韓国人によるインドネシア少数民族の言語レイプについて、日本(人)はとりあえず口出しする立場にありません。ですが、これを他山の石とするためにも、私たちは韓国(人)が何を行なっているのかを、正しく見聞きし、理解する必要があるのではないかと思います。
「韓国(人)だからと言って無闇に中傷しない」という自戒を持つこと自体を悪いこととは全く思いませんが、「無闇」ではない批判さえも、「無闇な中傷だ」と決めつける行為は、韓国人の侵食行為に加担する行為です。
それによって韓国(人)に侵食されるのが侵食行為に加担した方ご本人だけならば、それは単なる自業自得ですから、ご随意になされば良いと思います。しかしそうすることによって、ご本人以外に迷惑がかかったり被害に遭うようなことが絶対にないようにと、広く深く配慮する気持ちだけは、その方の国籍あるいは血統さもなくば精神が日本である限り、是非とも失わないようにと心から願う次第です。
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「竹島の日」と竹島プロジェクト
2010.02.22 Monday
10:02
本日は竹島の日ですが、巷では何故か猫の日
(2/22でニャンニャンニャンだそうです)
の方が宣伝されております。また今年の本日は「平成22年2月22日」ということで、2のゾロ目ということも盛んに宣伝されているようです。
数字合わせや語呂合わせ的記念日も、話のタネとしては嫌いじゃありませんし、猫は私も好きですが、「竹島の日」ということをかき消すためかと思ってしまうぐらい猫の日を宣伝する意図が私にはよくわかりません。特にそれに対抗してというわけでもありませんが、こちらはこちらで粛々と竹島の日をアピールして行こうと思います。
竹島問題そのものについては、昨今特に目新しい進展や出来事はありません。日本側は相変わらず穏便な姿勢を崩しませんし、韓国側も相変わらず姑息な自慰活動を世界各地でやって、一所懸命顰蹙を買っているようです。
竹島関連ニュースと言えるのかどうか非常に微妙ですが、先日、
日本海で海底火山が噴火
したそうです。日本ではさほどに注目されなかったこのニュース、韓国では
噴火に伴ない新島が出来るのではないかと言うことで、「じゃあドクトはウリタンに!」という意見が出た
とやら。
何だやっぱりお前ら、竹島が日本領土ってわかってんじゃねえか、と思った私でした。だって、連中が本当に本気でドクトウリタンと思っているのであれば、そんな発想が出てくる筈がありませんからねぇ。
ところで先日、今年度の竹島プロジェクトについて弊ブログで書いた際、コメントに「竹島プロジェクトが今後も続くということは、韓国による竹島の不法武装占拠が今後も続くことだ」というご意見をいただきましたが、私はそうは思いません。そもそも、彼らが狙っているのは竹島だけではないのです。竹島は韓国にとって日本の軒先であり、彼らの真の狙いは、軒を借りて母屋を乗っ取ることにあります。
たとえ今日、日本が竹島を奪還することが出来ても、朝鮮半島が日本海の西隣にある限り、韓国(人)は日本領土を狙うことを絶対にやめません。それは前回記事でご紹介した韓国人の発言からもはっきりくっきり読み取れますし、現在進行形で彼らが公然と対馬を狙っていることをご存知の方ならば、痛感出来るでしょう。
彼らは、実は竹島そのものの領有にこだわっているわけではありません。竹島でなくとも、日本海側にある島ならどこでも良いのです。もっと言えば、別に日本海側にある島でなくても良いのです。日本領土であれば、どこでも良いのです。それを足掛かりあるいは既成事実にして、日本全土を侵食することこそが、彼らの真の願望であり、目的なのです。
これを「杞憂だ」と笑う日本人は、いまだに多いでしょう。また韓国人にそういう話をすれば、ほぼ全ての韓国人が「考え過ぎです」「大袈裟です」「そんなことはありません」「一部を見て全体(以下略)」と言うでしょう。
しかし日韓の間で起きている事実や諸問題、韓国言論の主張、韓国人の行動やマインド等を並べて眺めれば、それを「杞憂だ」と笑うということは、如何に彼らの欲望に対して無防備であるのかがわかります。
よく言われることですが、韓国は日本のストーカーのようなものです。「竹島問題の本質は、韓国(人)による日本侵食である」ということを笑うということは、ストーカー被害に遭っている人に対して「考え過ぎだ」「自意識過剰だ」、あるいは「単なる偶然が重なっただけではないのか」「それだけ愛されてるということだろう」などと言って笑うことに似ています。
そういう人は、実際にストーカー被害者がストーカーに殺されるまで、ストーカー被害者の苦悩を笑い続けるのでしょう。あるいは、ストーカー被害者がストーカーに殺されても「それだけ愛されたということだ」などと言って美化するかもしれません。
それが自分とは直接関わりのない人の話であれば、笑ったり美化したり出来る人もいるかもしれません。「それもひとつの愛の形」などとうそぶいて、ストーカーやストーカー行為を擁護する人さえいるかもしれません。「そんなに愛されてるんだから、ストーカーと結婚すれば解決するんじゃね?」などと言う人もいるかもしれません。
しかし、もしそのストーカー被害が、自分や自分の近しい人に降りかかったとしても、そう言う人たちは笑っていられるのでしょうか。同じようにストーカーを擁護出来るのでしょうか。同じように、「ストーカーと結婚したら良いんじゃね?」などと言えるのでしょうか。
竹島問題を、日本に対する韓国のストーカー問題と考えれば、日本人は誰もが例外なく当事者です。その自覚を、日本人は須らく持つべきでしょう。
また日本人からその自覚を失わしめようとしたり、問題の要点を逸らそうとする人は、本人の意図や自覚の如何に関わらず、ストーカーの協力者であり、ストーカー被害者に対する加害者です。
そういう意識を喚起するためにも、また現在、日本は韓国に竹島を不法に武装占拠されていること、将来日本が韓国から竹島を奪還しても、彼らが日本への領土的野心を抱き続けているということを忘れぬためにも、竹島奪還が実現するしないに関わらず、竹島プロジェクト存続の意味はあると私は考えております。
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日本と韓国は全然違います
2010.02.19 Friday
09:00
先日、韓国人が「日本と同じです」と言いたがることをお話しし、更にチャットログもご覧いただいた訳ですが、逆に日本人が韓国人に「日本と韓国は違う」と言うと、何故か韓国人は怒り始めます。
先日も日韓チャットで、「日本と韓国は全然違う」と言ったところ、韓国人が「全然違うなんて、酷いです」と言いました。「日本と韓国は全然違う。いくら韓国が日本の真似をしても、所詮上っ面だけだ」と言うと、「ウリナラは日本の真似なんかしてない」と言います。
「ああ、そう。わかった。じゃあ韓国は日本の真似なんかしてない。だから日本と韓国は全然違う。これでOK?」と言うと、「酷いです」と言います。「何が酷いのか」と問うても、それには全く答えようとせずに、ただ「気分悪いです」と言います。「日本と韓国が全然違うと言えば、何故気分悪いのか」と聞くと、「それに対して気分が悪いと言ってるのではありません」と言います。
「では、韓国が日本の真似をしていると言われて気分悪いのか?だったら韓国は日本の真似なんかしてない。だから日本と韓国は全然違う。これで何の問題もないね」と私が言うと、突然発火。「縁起の悪い奴ら、消えて病身ども、めちゃくちゃ情けない!!!1」と喚き始めたので、おっしゃるとおり消えてもらいました。
また他日、別の韓国人にも同じように「日本と韓国は全然違う」と言ったところ、「日本と韓国は共通点が多いの」と言うので、「日本と韓国の何が共通しますか?」と聞いたところ、「顔付き、言語等、箸文化、仏教」などと言います。
しかし「顔付き」に関しては肌と髪の色ぐらいしか共通しません。言語は、語順は近いのですが文法は違いますし、発音は大きく異なります。箸についても、韓国の食事において箸はどちらかと言えば副菜を取ったり麺を食べたりする時用で、ご飯や汁は匙を使うのが普通ですから、日本とは全然違います。
仏教についてはインドで発祥して中国を経て日本や朝鮮に伝わったわけですが、伝来するまででさえ実にさまざまな宗派に別れ、更に日本でも独自に発展しております。それを一言で「仏教」とくくってしまうのは、あまりにも広義に過ぎます。
そこで「仏教が共通するって、韓国の仏教はどんな仏教ですか?」と聞いたところ、韓国人は「日本のような仏教」と答えました。「では、日本の仏教とはどのような仏教ですか?」と聞くと、「そこまでは知りません」と言います。「知らないのに、何故似ていると思いますか?」と聞けば、「学校でそう習った」と言います。
そこで再度「日本と韓国は全然違います。覚えておきなさい」と言うと、非常に不満げに「何故です」と言います。更に何を思ったかこの韓国人、とんでもないことを言い出しました。
韓「同じなら良いことではないですか、ハハハ」
韓「両国の友情がもっと仲良くなって、日本と韓国の統合。素敵ではないですか?」
韓「今後日本は没落する。そうなれば韓国が援助する。どうですか?」
韓「日本さえ合意すれば韓日合併は手軽い」
韓「まず海底トンネルで韓日を連結して、政治統合を実施」
韓「国家言語を韓国語に変更」
韓「日本自衛隊を解体。解体した資金で経済を活性化」
韓「それで私たちはアメリカを飛び越える強大国」
とりあえず言いたいだけ言わせようと思って、ムカつきを抑えて黙って聞いておりましたが、一段落したようなので私が「それは韓国人には一般的な考えですか?」と聞いたところ、「いいえ、当然違います」とその韓国人は答えました。
韓「韓国人は80%が反日だから、私だけの考えと思ってください。私は親日?ハハハ、日本に一年いたから」
韓「日本は在日韓国人によって担当されることになります。もう政治に参加する準備が、ハハハ」
ツッコミどころがうんざりするほどあり過ぎて、実際うんざりしたのですが、この韓国人は、これで日本に対する善意と好意に満ち溢れているつもりなのです。
つまり彼らの言う「日本と韓国は似ている」とは、「日本と韓国が同じになること」なのです。ちょうど彼らの対人関係が「上」「下」でなければ「同一」となるのに似たイメージではないかと思います。
日本人も、実はかなり「日本と韓国は似ている」と言います。例えば、韓国に行けば「20年ぐらい前の日本のようだ」と感じる日本人は珍しくありません。言葉にしても、韓国語初学者ほど「日本語と韓国語は似ている!!」と言いたがる傾向が顕著です。
日本からのパクリや日帝残滓に溢れる韓国を見れば「20年ぐらい前の日本に似てる」と感じるのは、韓国が必死で日本に似せようとしてきた結果ですからある意味当然です。しかしそれはあくまで上っ面だけであって、本質部分では、日本と韓国はまるで違います。
日本人が何気なく「日本と韓国って似ているね」と言うのと、韓国人が「韓国と日本は共通点が多いニダ」と言うのは、同じことを言っているように見えても、その本意はまるで違います。これもまた「日本と韓国は全然違う」ことのひとつと言って良いでしょう。
日本人が無邪気に「日本と韓国は似てるねえ」なんてお愛想を言うたびに、彼らは日本と同一化出来るという妄想と期待を膨らませることになります。それは双方共にかどうかはわかりませんが、少なくとも日本にとっては、全く良いことがありません。日韓再併合など、日本にとってはかつての悪夢の再現です。
普通の日本人にとって「日本と韓国は全然違う」などということは、それぞれ違う国なのだから当たり前過ぎるほど当たり前のことで、改めて言う気にならないことでしょう。
それでも韓国人に対しては、頑として「日本と韓国は全然違う」ということを強調していかなければ危険だと、しみじみ思う今日この頃です。
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日韓
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09:00
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日本人の甘さ、韓国人の甘さ
2010.02.16 Tuesday
09:00
最近弊ブログのアクセス数は、順調に減少の一途をたどっております。おそらく読者の皆様が飽韓の段階に入ったのだろうと考えております。
個人的には親韓も嫌韓も、おそらくは飽韓も、日本人が韓国(人)と接する間に経るべきそれぞれの段階のひとつであって、そこに留まり続けるものではないと考えています。親韓を続けることは現実的経済的身体的に危険ですし、嫌韓は精神衛生的に決してよろしいとは言えないでしょう。飽韓を続けることの危険性やデメリットは、私もまだその段階に居るところなのでわかりませんが、何かしらあるのではないかと思います。
もし本当に飽韓が増えた結果、弊ブログのアクセス数が減少しているのであれば、それはある意味健全な現象だと考えております。もちろん韓国と言うよりも、単純に弊ブログそのものが飽きられたという可能性も十分あると思っていますがw
さて、日韓チャットでも、弊ブログでも再三申し上げていることのひとつに、「韓国人と初めて接するときは、とりあえず殴れ」ということがあります
(もちろん本当に殴るのではなく、殴るが如き対応をするという意味です。ホントに殴る必要があるケースも有り得ると思いますが、その辺の判断は各自の自己責任でお願いします)
。
こう言えば大抵の日本人には、眉をひそめられたり、ドン引きされたり、場合によっては強く非難されてしまうわけですが、それがわかっているのにあえて私がそう言うのには、理由があります。
まず最大の理由が「日本人が韓国人に接する際は、それぐらいの気持ちで接するぐらいがちょうど良い」ということです。そもそも「とりあえず殴れ」と言われて素直にぶん殴れる人は、多分私が言うまでもなくそうすると思います。日本人の場合、「とりあえず殴れ」と言われても素直にいきなりぶん殴れない人がほとんどではないかと思います。
ですが「とりあえず殴れ」と言われて素直に殴れない人でも、事前にそう言われれば少しは構える部分が出来てしまうのではないでしょうか。その「構える部分」が、韓国人と接する日本人には欲しいのです。
これは「知らない国は好きな国」と考える日本人が多いことに通じると思うのですが、多くの日本人は、初めて接する人をいきなり悪人とみなすことに、普通は強い抵抗を感じます。日本人と接する韓国人が、悪意を持ってこちらを害する場合も珍しいというほど少なくはありませんが、それよりも圧倒的に多いのは、彼ら的には善意あるいは好意のつもりでやらかす迷惑行為です
(こちらが頼んでもいないのにパソコンソフトを違法コピーをさせてやるとか、自分が日本を行ったら旅行ガイドをさせてやる等、一般的な日本人ならそれが純粋な好意からのものであっても迷惑に感じることを、彼らは大変嬉しそうに言ったりやったりします)
。
日本の諺には「人を見たら泥棒と思え」などというものがありますが、日本人は韓国人に対して、それぐらいの気構えを持っているぐらいでちょうど良いのではないかと思います。それは海外旅行をしている日本人が、高い確率で窃盗の標的となるばかりではなく、日本人自ら海外に赴かなくとも、窃盗目的で来日する隣国人が多いことからも、十分ご理解いただけることと存じます。「韓国人と初めて接するときは、とりあえず殴れ」というのは、いわば「人を見たら泥棒と思え」の、実用対韓バージョンとお考えいただければと思います。
ふたつめの理由としては、韓国人には「優しい態度」というものが理解出来ないということです。
韓国人は、日本人に対して非常にねじれた感情を抱いています。彼らは、日本人が大変に好きなのですが、同時に強く恐れています。彼らの反日の多くは、その「恐れ」から来ています。もちろんそれ以外の感情も、まるでモザイクのように随所に散りばめられており、時にそれらが会話中の単語などに反応して妙な発作を起こすのですが、それらについてはまた別の機会の話にします。
とにかく韓国人は、恐れている日本人から優しく接してもらうことを期待しており、期待通りに優しく接して貰うと「日本人が自分を優遇した=日本人の優位に立てた」と一瞬で勘違いします。これは必ずです。以前から再三再四申し上げておりますが、彼らに「対等」という対人関係は、絶対に理解出来ません。彼らには「上下」あるいは「同一」という対人関係しか理解出来ないのです。
日本人で、義務教育を修了しているぐらいの年齢以上であればたいていは、「上下」と「同一」のみならず、「対等」や「一定の距離を保つ」という対人関係も理解出来ます。高次の理解力を持つ者と、低次の理解力しか持たない方が接する場合、高次の理解力を持つ者が低次の理解力しか持たない者に合わせなければならないのは、当然のことでしょう。
逆に、低次の理解力しかない者に対して、高次の理解力を求めそれを当然と考えて接するのは、高次の理解力を持つ者の傲慢であり、場合によっては一種の虐待であるとさえ私は考えています。
要するに日本人の甘さは、韓国人に日本人と同じ理解力があると考え、それを基準に彼らに接しようとすることでしょう。それに対する韓国人の甘さは、日本人が韓国人を無条件で受け入れ、尊重するのが当然だと意識さえせず信じていることかもしれません。
明らかに双方の相手に対する理解が行き違っているわけですが、互いの持つ甘さゆえに、双方それを認識さえしていません。双方が互いにこの甘さを自覚する日が来れば、日韓の関係も一歩進み得ると思います。それが無理ならせめて日本側だけでも自覚を持つようになれば、何らかの変化を期待することが出来るのではないかと思います。
もっとも「韓国人と初めて接するときは、とりあえず殴れ」と言われて眉をひそめない日本人が現実に多くなることを考えると、それを唱えている私でさえ何気に荒んだ気分になります。それもまた、日本人的な甘さのためだろうと思います。
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