月見櫓@Jugem
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真相はビビンバの中
2010.03.30 Tuesday
11:00
2月に最高気温が25度に達するような日があったかと思えば、3月も末だというのに最高気温が15度にも届かない日がある妙な春です。そのおかげで、先日咲き始めた桜は長持ちしそうですが、ベランダに鉢を出しっ放しに出来ないのが少々面倒です(冬期、寒さに弱い種類の鉢は、日中はベランダに出して、夜間は屋内に取り込んでいます)。
さて、日本国内では現在子供手当て法案が通るや否やの
子供手当て騒動
です。しかしこれは、当然と言えば当然の現象で、改めて驚くことではないでしょう。
この子供手当て、確か本来は日本の少子化対策という名目だったはずなのですが、この状況を見て「これで安心して子供を産み育てることが出来る」と考える日本人が増えるとは、到底思えません。はっきり言って、日本の子供たちの将来を子供手当てで売ったも同然なわけですから。
もっともこの状況を見て、「これで安心して子供を産み育てることが出来る」と考えられる日本人が多数派を占めるようになったら、その方が少子化なんかよりも日本の将来にとってずっと危険ではないかとも思いますがw
子供手当てを目当て日本に流れ込んでくるような外国人が、日本に多額の税金を納めるような富裕層であるなどということは、まずあり得ません。むしろ貧困層に近い人々の方が多いでしょう。
日本の場合、日本人よりも圧倒的に在日外国人の方が生活保護を受給しやすいのが現実ですが、更に日本国内に在住しない子供の分まで子供手当てが支給されるとなれば、今後公的生活支援目当ての外国人が日本に大量に流入する可能性は、十分考えられます。
その場合、日本と距離的に近い国から流入する割合が高くなるであろうことは、当たり前過ぎるほど当たり前です。その上、日本国内に既に生活基盤がある在日外国人や帰化人の親類縁者ならば、来日ハードルは更に低くなります。
それらの条件に最も当てはまりやすいのは、言うまでもなく特亞とか反日御三家と言われる国々です。要するに日本という国は、と言うか現政権与党は、日本人よりも反日国の子供を育てたいのでしょう。何のためにかは知りませんが。
気分が暗くなる国内関連から目を移して韓国関連についてですが、ホットイシューはやはり例の軍艦沈没破裂騒動です。
しかしこれはいまだに情報が錯綜中なために、日韓チャットでこの話題が出ても、どうしても想像を元にしたネタ談義にしかなりません。
故盧武鉉前大酋長の投身自殺騒動の時もそうだったのですが、証言者や目撃者、状況を説明するための証拠や資料が全くないわけでもない(どころか、比較的豊富だったりする)のに、状況把握や原因解明がなかなか進まないという事件は、韓国関連では全く珍しくありません。
証言者は証言を二転三転させ、そこへ嘘の目撃談や本気の妄想が投げ込まれ、時間の経過と共に証拠の幾つかは消滅し、あるいは隠滅され、翻弄される者とする者がその時その時で入れ替わり、やがて真相は執拗にこねくりまわされたビビンバの中となります。
そうなればしめたもので、それぞれの立場の者がそれぞれの都合の良いように「真実」を作り上げ主張します。そうして成り立っているのが、韓国社会です。
基本的に韓国人は自らの誤りや過ちを認めようとしません。成功は他人のものでも自分のものにしようとしますが、失敗は全て他人のせいです。今回の軍艦沈没破裂騒動に関しても、責任逃れに必死になっている者が話を一層ややこしくしている可能性は高いと思います。
以前にも「
反省は敗者の屈辱
」という記事を書いたことがありますが、彼らが自ら進んで失敗を認めたり反省したり、ましてや失敗から教訓を得るなどということは、ほぼ絶対にありません。
ウリナラチラシなどで一見反省しているように見える記事やコラムを見ることも稀にありますが、あれは自分以外の読者に対して反省を促しているものであって、それを書いている記者自身が反省しているわけではないのです。
勝ったり成功したりしている内はそれでも良いのですが、一旦負けたり失敗したりすると、彼らは必死でその事実から逃れようとします。事実から逃れることが出来ない場合は、その責任から逃れようとします。そういう彼らの基本行動が今回のような事件の場合、真相をどんどん闇の中へ押し込め、なかったことにするのでしょう。
わずか数日前のことでもこうなのに、それが何年、何十年、あるいは何世紀と時間の経ったことならば尚更です。
日韓歴史共同研究において、長年やっているにも関わらず日本と韓国の認識が全くかみ合わないのは、韓国人がそういう習性を持っている生き物だということを、日本側が認識していないこともあるのではないかと思います。
もっともそれを認識してしまったら、韓国人と共同で歴史についての研究なんて、バカバカしくてやっていられないでしょう。
あるいは、あえてそれを認識した上で、日韓の歴史よりも韓国人という生き物の生態や思考を研究する方にウエイトを置くという手はあります。韓国ウォッチブログを書いている私の立場では、それはそれで決して無駄な研究ではない(どころか、むしろ歓迎w)とは思います。
しかしそれは、歴史を研究する日本人には激しく畑違いであるということと、あまりにも精神的苦痛の大き過ぎる研究になるのではないかと憂慮する次第です。
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日韓
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11:00
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所詮は日本人的理解
2010.03.27 Saturday
09:00
昨日、韓国の哨戒船が北朝鮮領海付近で爆発沈没したというニュースを見て、「リアル
軍艦沈没破裂
」などと不謹慎なことを言ってしまった筆者ですこんにちは。
日韓チャットの韓国人によると、この件については、韓国内でも情報が非常に錯綜しております。
何しろ願望を事実のように語るのが韓国人の常ですから、「北朝鮮からの攻撃ではないと思いたい」が、「北朝鮮からの攻撃の可能性は低い」にナチュラルにすり替わったりするのは、極めて普通です。ですから、たとえそれが公的機関や主要言論機関からの発表であったとしても、にわかに信じることは出来ません。
日韓チャットの常連日本人会員が、「韓国という国は相互不信で成立している社会だ」と喝破しましたが、こういう状況を見ると、全くそのとおりだと思います。
社会を構成する全ての層が互いに信用し合わないことで成立する社会という、日本人からすれば想像を絶する社会が、日本の隣にあるだけで結構背筋が涼しい気分になります。もっとも、最近はそれが日本社会の中にも紛れ込み始めているような気がしなくもありませんが。
「相互」も「不信」も「成立」も「社会」も全て日本人には理解が容易な単語だと思うのですが、それらの言葉を組み合わせて「相互不信で成立する社会」と言うと、それがどのように成立している社会なのか、日本人にはにわかに理解が難しいと思います。
このように「一見理解が可能に見えて、実際には理解出来ない、あるいは理解が困難なこと」は、韓国関連では珍しくありません。
前回の記事でも「日韓相互理解は不可能だという相互理解を目指そう」と書きました。すると日韓チャットの常連日本人から、「あれでは日本人側は韓国を理解している、あるいは理解出来ると思う人がいるかもしれない」と言われました。
なるほど言われてみれば、そう誤解される余地もあるかも知れないと思い、蛇足かもしれませんが前回の記事について、少々言葉を補っておこうかと思います。
日韓の場合、一言で「相互理解」と言えば、日本人が韓国人を理解しようとする姿勢の方が、韓国人が日本人を理解しようとする姿勢より、確かに大きいだろうとは思います。しかし、日本人がどこまで韓国人を理解したとしても、それは所詮日本人としての理解でしかないことを、私たちは忘れてはいけません。
「私たちは忘れてはいけません」などと偉そうに書きましたが、実はこれは私自身が、しばしば日韓チャットの常連日本人に厳しく指摘されることだったりします。
日本人である限り、韓国人についてどれだけ長く深く考察しようとも、所詮は日本人としての視線、日本人としての理解、日本人としての結論の域を出られません。
私は非常にしばしばそれを失念して、「何故あいつらはこうなんだ!」と驚いたり腹を立てたりしています。そのたびに、日韓チャットの常連日本人会員からは、「あなたは相変わらず日本人的視点から抜け出せていない」と笑われております。
例えば、彼らの発する言葉には意味がありません。これを日本人が真の意味で理解するのは、極めて困難だと思います。日本人にとって、言葉とは意味があって当然だからです。だから彼らの言葉に意味があると思って聞いてしまい、彼らの言葉にころころと転がされます。
「韓国人は息をするように嘘を吐く」とよく言われますが、それさえもやはり日本人的解釈であって、彼らにとって言葉は意味がありませんから、彼らの嘘は嘘としての意味さえないのです。それが証拠に彼らは非常に頻繁に、全く意味のない嘘を吐きます。
彼らが発する言葉だけではありません。彼らの書く文字や文章も同様です。彼らにとって文章とは、単に彼らの発する音を写しただけのものだということを日本人が本当に理解するのも、かなり難しいでしょう。ハングル専用によって生じる思考の浅薄化に気づいた時、私は心の底からぞっとしましたが、もちろんそれも所詮「日本人的理解」でしかありません。
喩えて言うならば、鶯のさえずりを「春の訪れを告げる声」などと理解するのは人間側の理解です。鶯側は別に、人間に春の訪れを知らせるつもりなど全くありません。また鳥によっては「求愛のダンスを踊る」などと言われている種がありますが、それらもやはり人間的な解釈です。鳥自身に「求愛」や「ダンスを踊る」などという意識や概念はないでしょう。
日本人的な韓国人理解も、それと似ているのではないかと思います。
もちろん「日本人的理解」でしかなくとも、それが全くの無駄だとか、悪いことだとは思いません。思ってたらこんなブログ続けていられませんw
韓国人を観察する場合、たとえそれが「日本人的理解」であっても、無いよりは有った方が良いと思います。また日本人同士で韓国人について話す場合、「日本人的理解」であっても、それを共通の概念として話す方が、間違いなく話の通りは良いでしょう。
ですが、その「日本人的理解」を以て、本当に韓国人を理解した、あるいは理解し得ると考えるのは、極めて危険です。以前にもご紹介したことがある、
野生のグリズリーを愛した男が、結局グリズリーに食われた
という話を思い出してください。
日本人が韓国人を理解した、あるいは理解しようとしているというのは、あくまで「日本人として」です。それによって得られた理解は所詮「日本人的理解」であり、韓国人を本当に理解したわけでも、理解出来るわけでもありません。
「象使いは象に殺される」という言葉もあります。彼らを理解出来ないことよりも、「彼らを理解出来るはず」あるいは「彼らを理解した」と思い込み、「日本人的理解」で接することの方がずっと危険な場合もあるということを、ここで改めて強調しておきたいと思います。
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日韓
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日韓相互理解は不可能だという相互理解を目指そう
2010.03.24 Wednesday
11:00
大阪では数日前から桜がちらほら咲き始めましたが、いわゆる花冷えなのか、昨日ぐらいから少し冷え込んでおります。
さて昨日、第二期日韓歴史共同研究の結果報告が公表されました。ちなみに論文等の原文は
こちら
から閲覧及びダウンロードが可能です。が、報告書は膨大な量なので、全てを読破するのはなかなかに骨でしょう。私もまだざっと目を通しただけです。
読むだけでも骨なのに、これを作成した委員会の、殊に日本側のメンバーの労苦は察するに余りあるものがあります。
一次史料が豊富に残っている近現代史においても、恣意的な解釈による捏造や歪曲が行われることが珍しくありません。ましてや文献や遺物の乏しい時代であれば尚更です。更にそこへ学術的好奇心とは全く別の邪心が混ざれば、学術研究が、例えば政治の道具に用いられることもしばしばです。そして、韓国における歴史は、まさに学術的好奇心よりは明らかに民族的感情や政治利用が優先されております。
「群盲象を撫づ」という言葉があります。「大勢の盲人が象の体を撫でて、それぞれが自分の撫でた部分だけをもって象全体を評すること」の謂です。
確かに、全知全能の神ならぬ身の人間には、全てを正確に知り尽くすことなど能力的にも時間的にも不可能です。しかし、限られた能力、限られた時間しか持たない人間であっても、それぞれがそれぞれの出来る範囲で調べ、知り得た情報を持ち寄り、それを再構築することで、見えない巨大な象の全体の姿を把握することは可能です。
人間は、そうやって見ることも触れることも出来ない宇宙の謎にさえ迫ってきました。時の彼方に流れ去り、今となっては誰も見ることが出来ない時代についても同様です。
ところが韓国人には、それが出来ません。彼らにとっての「共同研究」とは、自分が撫でた(しかも多分に感情と願望を厚く塗り重ねた)部分こそが唯一絶対の真実であると、共同研究者に何が何でも認めさせることです。特に日本が相手の場合、彼らのその傾向は極めて強く激しくなります。
今回の詳しい研究報告については、私もまだ斜めに目を通しただけで、じっくり読むのはこれからですが、興味深かったのは、とりあえず流し読んだ日韓双方の序文や、今回の共同研究における回顧と展望でした。そこには日本側のメンバーの消耗と憔悴が目に浮かぶような所感と、日韓チャットの韓国人の態度を彷彿とさせるような、韓国側のメンバーの所感が載せられておりました。
「日韓チャットの韓国人を彷彿とさせる」というのは、例えば「歴史対話は相互間の尊重と信頼が前提とされ、相手方の研究成果に耳を傾けようとする真摯な姿勢が備わったときに、はじめて成功裏に進めることができると言われる。われわれはこのような事例を、今日のドイツとフランスの歴史対話、ドイツとポーランドの歴史対話などを通して充分に確認することができる。筆者はこれらの歴史対話を見ながら、特に歴史の前では謙虚であろうという、彼らの成熟した姿に感服した」という韓国側委員長の序文にも見ることが出来ます。
今はさほどでもありませんが、一時期日韓チャットで非常に頻繁に聞かれた「日本はドイツを見習え」という話は、ここでも言われております。と言うかおそらくは、こういった連中が唱えたことが日韓チャットの韓国人どもに流れ着いていたのでしょう。
更に、日韓チャットの韓国人は今でも非常に頻繁に「理解」「尊重」「信頼」「信用」などとほざきます。しかし彼らがそういう類の言葉を口にするときは、一方的に自分だけが理解され、尊重され、信頼あるいは信用されるべきであるという主張です。
日韓歴史共同研究における韓国側委員長の序文におけるこれらの用語も、同様のニュアンスを持っていると、私は感じました。
結局、日韓両国政府の肝煎りで何年も掛けて行われた日韓の共同研究の成果とは、日本側の各社報道でも
「 【日韓歴史研究】「共同研究は不毛」 共通認識形成にはほど遠く 」
や
「社説:日韓歴史研究 対立乗り越える努力を」
という表現が見られるように、「日韓の(歴史認識における)相互理解は極めて困難(率直に言えば不可能)」というものかもしれません。
私はこれまでに何度となく「日韓チャットなんかに来る韓国人は、10代の子供ばっかりだから、対話にならなくてもしかたない」などと散々言われました。しかし何のことはない、日韓学識経験者の歴史共同研究における日本側のメンバーも、日韓チャットに参加した日本人と同じような感想を抱いたわけです。
それでもまだ、「いや、これは歴史認識に限ってのことで、それ以外なら日韓は理解し合える」などと言い張る人も、日韓双方にまだウジャウジャいるのだろうと思うと、本当に気が遠くなります。
日韓は相互且つ永久に、あらゆる面で、決して理解し合えないということを一日も早く互いに理解することが、少なくとも日本にとっての今後の日韓関係をより良い方向へと前進させることになると、私は考えております。
その理解が、せめて日本側だけにでも得られなければ、100年前の悪夢が、100年前よりも酷い形で再現される可能性があると、ここに改めて警鐘を鳴らしたいと思います。
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日韓
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韓国人の発信する情報を見る時の心構え
2010.03.21 Sunday
11:00
最近、弊ブログに新しくお越しになった方からのコメントをちょくちょく戴いております。
弊ブログは、筆者が記事を書くだけで一杯一杯なために、コメント返しはもちろん、宣伝活動らしいこともほとんどやっておりません。ですので、結構長く続けてる割にはあまり知られてないみたいですw
そんな弊ブログにもかかわらず、長らくご覧戴いている常連読者の皆様、最近弊ブログを発見してくださった皆様、読むだけではなくコメントまでしてくださる皆様には、改めまして深く御礼申し上げます(
なお
『中華的生活「多少銭?」』
ですが、弊ブログの右サイドバーの「リンク1」からも辿れます。コメント欄でお尋ねだったので、とりあえずお知らせまで
)。
さて、弊ブログの執筆に際し、日韓チャットの量産型を見てるばかりではなく、書籍を読んだりネットの巷を徘徊することも多いということは、前回記事でも申し上げました。ネットの巷を徘徊する時は、弊ブログで「ウリナラチラシ」と呼んでいる韓国言論サイトを見ることも頻繁です。
「ウリナラチラシ」と言えばその代表格は、
朝鮮日報
・
中央日報
・
東亜日報
の、いわゆる朝中東三紙ですが、何故か日韓チャットの韓国人は「朝中東は信用出来ない」と口を揃えて言います。では、どの言論機関が信用出来るのかと彼らに聞けば、これまた何故か口を揃えて「
ハンギョレ
」と答えます。
ハンギョレには日本語版がないのですが、韓国人がそう言うのだからと、私も一応ハンギョレを見ております。しかしその偏向性もさりながら、記事の信頼性という点で「朝中東」とどう違うのか、正直私には全くわかりません。
先日も、
「日本は日帝被害者に対する責任認めるべき」
と題した社説を、ハンギョレで見かけました。読むと、それが事実なら日本でもニュースになっていないはずがないようなことです。慌てて私は、日本側のニュースサイトを漁ってみました。
ところが日本側に、そんなニュースはどこにもありません。こういうネタなら真っ先にラインナップされそうな
2NN
の見出しにも、とりあえず見当たりません。もちろん日韓チャットの韓国人も、そんな話はおくびにも出しません。
何だかキツネにつままれたような気分でしたが、日本側でニュースになっていないなら、よくある韓国人の寝言か妄想だろうと思って、深く追及しませんでした。
それが3月15日のことだったのですが、その後前回記事のコメント欄でもあったように、3月18日に日本外務省が聯合ニュースに対して「個人請求権は解決済み」と回答しております。結局のところ、ハンギョレの社説に対する「よくある韓国人の寝言か妄想」という私の理解と判断は、間違ってなかったということになります。
ウリナラチラシは少し前にも、「
鳩山総理が非公式に韓国に賠償すると表明した
」という記事を飛ばしたりしておりましたが、このところ何だか妙に韓国側の日本に対するこの手のオネダリが頻繁になっております。
それらは、とにかく日本から何とか毟りたいという彼らの願望からくるもので、個人請求権だの韓国への賠償だのは、単にその正当化のための脚色でしかないのでしょう。読者に対し、日本から毟るのはウリナラの当然の権利という刷り込みを行なうために、色々と愚にもつかないネタを飛ばしているのではないかと思います。
一度解決したり決着したことでも、それが自らの気に入らなければ、平気で忘れたフリをしたり、あるいは言いがかり同然の解釈やなりふりかまわぬ嘘で、結論を反故にしたりひっくり返そうとしたりするのは、彼らの常套手段です。またこうして記事にすることで、「かつてこういう記事があった」という潜在意識を読者側に刷り込むという効果を狙っている可能性もあります。
嘘でも何でも一度記事にしてしまえば「記事になった」という事実を作ることが出来ます。「記事になった」という事実を、記事の内容が事実であるかの如くすりかえる卑怯で姑息で陰険な手段は、朝鮮人の得意とするところです。
人の好い日本人は、こういう手練手管に簡単に引っ掛かる人が少なくありません。また韓国人にしても、彼らの願望に沿ったニュースであれば、何らの検証なく鵜呑みに信じるのが一般的です。ましてやそのニュースが、彼らの信仰する「日本=悪役」という図式に則っていれば、韓国人の間では疑う方が悪いという空気さえあります。
そういう事情を勘案すれば、日本が関連する韓国人の願望に沿ったニュースについては、どんな公的機関からのものであろうと、どんな権威が背景にあろうとも、発信者が韓国人である場合は、眉に唾を付けてから聞くという姿勢を崩さぬようにする習慣を、私たち日本人は身につけるべきではないかと、痛切に思う今日この頃です。
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日韓
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在韓補正
2010.03.18 Thursday
09:00
サブタイトルで「日韓チャットを通して見る韓国」と謳っている弊ブログは、陰に日向に、日韓チャットを見ているだけで韓国の何がわかると言われることが非常によくあります。しかし実際の情報収集先は、日韓チャットだけではありません。
韓国・朝鮮関連の書籍類を読むのは当然として、過去に、実際に韓国を訪れたことも一度ならずありますし
(ちなみに、パッケージツアーで行ったのは数度訪韓した内の一度だけで、それも往復航空券と空港送迎、宿泊だけがセットになった、いわゆる「フリータイム型」と言われるタイプのパッケージツアーです)
、周囲に生朝鮮人や生在日が少ないとは言え、接したことがないわけではありません。もちろん、鶴橋にも新大久保にも行ったことがあります。
ネットでは日韓チャット以外に、MSNやスカイプなどのメッセンジャーで韓国人と会話をすることもありますし、某巨大匿名掲示板のハン板は言うまでもなく、日韓翻訳掲示板やブログも参考にしています。
中でも在韓日本人が書いているブログは、一般的な日本人の目の高さで見た韓国(人)がリアルタイムで発信されるので、大変参考になります。
もちろん、「一般的な日本人」と言っても
人ごとに違います
w
頭の先まで親韓どっぷりで、韓国人がそう言えばカラスも白だと言いそうな日本人もいれば、日韓のはざまで可能な限りニュートラルであろうと努めているのがよくわかる日本人もいます。シニカルに韓国をぶった斬るけれど、返す刀で日本もぶった斬ってる日本人もいます。
いずれの日本人にも共通するのは、「韓国だけを一方的に悪く言ってはいけない」という強い意識です。
韓国について厳しい意見を述べれば、それを埋め合わせようとでもするかのように、必ず韓国について述べた厳しい意見と同じか、それ以上のウエイトの褒め言葉を並べようとします。韓国について批判的なことを書いても、「でも日本だって、こういうところは言えた義理じゃないしな」と言って、必ずバランスを取ろうとします。
その気持ちはわからなくもありません。
まず日本人的な感覚では、対立する二者のどちらかだけを、一方的且つ絶対的な悪役にすることを強く厭います。更に「判官贔屓」という言葉があるように、もし対立するどちらか一方が明らかな敗者や弱者であれば、善悪を度外視して敗者や弱者に肩入れしたがる日本人は多いと思います。
韓国(人)に対し「判官贔屓」的意識を持つことは即ち、韓国(人)を弱者や敗者として見ているという証左だと私などは思うのですが、日本人的善意に満ち溢れた人々は、自らのそういう意識に気づくことは少なく、仮に気づいてもそれを悪いとは微塵も思いません。むしろ「弱者や敗者を擁護する自分」に酔い痴れるでしょう。
また「日本人の謝りたがり癖」もあります。夏目漱石が作中で「人の尻を自分で背負い込んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか」と皮肉っていますが、その「どこの国」が日本なのです。
「
何ンに付け一応はスミマセンと言うのが癖です
」と節を付けて歌いたくなるぐらい、日本人は何かあれば謝ろうとします。
「対立する二者のどちらかだけを、一方的且つ絶対的な悪役にすることを強く厭う」という日本人気質において、「スミマセン」という言葉が互いを無駄に傷つけ合わぬための魔法の呪文になり得ることは、日本人には理解出来ます。しかし、外国人にそれは通用しません。もちろん韓国人にも通用しません。にもかかわらず日本人は、ついつい「スミマセン」と言ってしまいます。
そんな日本人が韓国で韓国人から理不尽な責められ方をされれば、「だって日本は過去に韓国に悪いことしたもんね」と思って素直に謝ってしまうのです。更にそれを「日本人は皆反省しようよ」とブログに書いちゃうわけです。
更に在韓日本人は、現実に韓国に住んでいるという点も勘案しなければならないと思います。
「住めば都」ということもありますし、韓国に住む者が韓国の現実を直視するということは、精神的なダメージが極めて大きいということもあります。誰しも、今自分が住んでいるところが糞壷の中だとは思いたくないでしょう。それがために韓国人は、韓国の現実から目を逸らして脳内に理想の韓国(人)を作るか、あるいは実際に国外へと脱出することで韓国の現実から逃避しています。
ところが在韓日本人は、「広義の強制連行」で韓国に在住している人もいますが、自ら進んで好き好んで韓国に住んでいる人もいます。ブログを書いている在韓日本人には、そういう人が少なくありません。
そういう人が韓国について書くときに、遠慮会釈の無い率直な韓国批判を書けるかと言えば、まず無理です。「だったら日本に帰れ」と、誰に言われるまでもなく、自分で思ってしまうでしょう。
事情は人それぞれとは言え、自ら好き好んで韓国に住んでる以上、
水野俊平
氏のように、結果的に日本に帰ることになろうとも、韓国の現実を直視し、それを指摘しようとする人ばかりではありません。むしろ、たとえ嘘だと薄々わかっていても、欺瞞だと密かに気づいていても、韓国擁護をせざるを得ない人の方が普通でしょう。
だから在韓日本人のブログに的外れな韓国擁護や珍妙な日本批判があっても、それを見てモニターに向かって「アホか」とつぶやくことはあっても、私はそれを文章化して非難するつもりはありません。
但し、日本人がそういう在韓日本人のブログを読む場合、そこには上記のような在韓補正が掛かっているということを、きちんと勘案して読むべきであるとは思います。
悲しいことに、そういう但し書きも、在韓日本人には書けないでしょうけれど。
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